入船山記念館の周辺には「大和ミュージアム」をはじめ、観光スポットが点在しています。呉の歴史を学べるスポットを訪ねてみませんか。
呉市立美術館
呉市立美術館は入船山記念館とともに入船山公園文化ゾーンを形成しています。コレクション展、特別展など様々な展示で市民に人気の美術館です。
美術館通り
ゆるやかな赤レンガ敷きの並木道に、著名な作家による17点の彫刻が点在する、道行く人の心を癒やす美術館通り。「呉市立美術館」の開館に併せ、美術館へのアプローチとして、1981(昭和56)年に整備され、散策・憩いの場所として親しまれています。「美術館通り」という名称は、1987(昭和62)年に市民から広く公募し、決定したもので、同年には、「手づくり郷土賞(ふれあいの並木道)」と「日本の道100選」にも選ばれています。[くれナビより]
乙女椿
呉浦の長者の娘と貧しい漁師の若者とが愛し合ったが、結ばれぬまま二人は海に身を投じ、娘のなきがらが流れ着いた呉浦には、乙女椿が一輪の花を咲かせ、夜になると光を発し、舟人たちが夜の舟旅の目印にしたとの伝説が残っています。[乙女椿解説板より]
子規句碑
正岡子規は明治28(1895)年に友人の古嶋一雄氏が海軍従軍記者として軍艦「松島」で出征するのを見送るため呉を訪れました。
呉市内各所にはゆかりの句碑などがあり、大和ミュージアム内には松山市の俳句ポストが設置されるなど交流が続いています。
「呉港 大船や 波あたたかに 鴎浮く」(美術館前・句碑)
「呉港 大船や 波あたたかに 鴎浮く」(金比羅山公園・句碑)
「呉港 大船や 波あたたかに 鴎浮く」(大和ミュージアム・展示パネル)
「呉港 のどかさや 檐端の山の 麦畠」(大歳神社・奉納額)
「呉港 呉かあらぬ 春の裾山 灯をともす」(歴史の見える丘・句碑)
「従軍の人を送る 陽炎に 心許すな 草枕」(アレイからすこじま・句碑)
旧呉海軍下士官兵集会所(現、海上自衛隊呉集会所)
昭和11(1936)年に建てられたコの字型の平面形の建物(地上3階地下1階RC造)で回廊に囲まれた中庭を有する。地下への採光にガラスブロックが採用されているなど近代的な意匠となっています。現在は一部自衛隊施設として利用されていますが建物内に入る事はできません。
海上自衛隊呉音楽隊庁舎「桜松館」
美術館通りを歩いていると音色が聴こえてくるかもしれません。海上自衛隊音楽隊庁舎「桜松館」は、明治38(1905)年5月に海軍下士官卒集会所構内に講堂と図書展覧室等を備えた施設として建設されましたが老朽化のため、建替えられ昭和4年11月のものです。ステージ中央に残る呉の文字と砲筒と錨の彫刻されたシンボルマークは、進駐軍占領施設として利用されていた期間もありながら現在まで残された貴重なレリーフものです。
海上自衛隊呉地方総監部庁舎「旧呉鎮守府庁舎」
旧呉鎮守府庁舎。明治40(1907)年に竣工したレンガ石造の建築で、レンガと御影石との調和がとれた呉市に現存する代表的なレンガ構造物です。毎週日曜日には一般公開されていますが見学の方法などはウェブサイトでご確認ください。
歴史の見える丘
戦艦「大和」を建造したドック上屋を間近にみる事ができるほか、呉湾を一望できる場所です。
敷地内には造船船渠記念碑、子規句碑、噫戦艦大和塔、旧呉海軍工廠礎石記念塔等の記念碑が建てられています。
亀山神社
亀山神社は鎮守府が置かれるまでは、入船山記念館の場所に鎮座しておりました。呉の氏神として特に「秋のお祭り」の際には「ヤブ」も登場するなど賑わいます。
大和ミュージアム
戦艦「大和」を建造した軍港、日本一の海軍工廠のまちとして栄え、戦後は、世界最大のタンカーを数多く建造する明治以降の「呉の歴史」と造船・製鋼を始めとした各種の「科学技術」を紹介する博物館。